歴史の1ページ。

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2020年7月5日
ブログ

ある一家の家族写真があります。

この家族どのような運命が訪れたのか?

全員、射殺されました。

 

この写真は、帝政ロシアの最後の皇帝、ニコライ2世の一家の写真です。

写真左から、長女・オリガ、三女・マリア、ニコライ2世、皇后・アレクサンドラ、四女・アナスタシア、皇太子・アレクセイ、次女・タチアナの7人家族。

 

1917年にニコライ2世は退位させられて、帝政ロシアは終わります。

ニコライ一家は幽閉された状態でロシア各地を転々とさせられます。

そして、エカテリンブルグのイパツェフの館が最期の場所になりました。

 

1918年7月17日、ソヴィエト連邦のチェーカー(秘密警察)によって、ニコライ一家は全員射殺されました。

王室の皆殺しというのは歴史的には例がありますが、近代以降、カメラという記録媒体が現れてからは、写真に映っている王室の家族が皆殺しになるというのは前例がありません。

近代以降、多くの王室が革命によって打倒されました。

しかし廃位させられた皇帝、国王、及びその一族は国外に亡命はしますが、ニコライ一家のように皆殺しにされたことはありません。

ソヴィエト連邦による、野蛮な犯罪です。

 

殺害されたニコライ2世一家の遺体は、穴を掘って、そこに埋められ捨てられました。

ソヴィエト連邦の崩壊前に遺体は発見されましたが、ニコライ一家の殺害はソ連を独裁していた共産党によるものなので、埋められた場所を詳細に記録した上で、再度埋めなおされました。

犯行の現場のイパツェフの館は、事件の60年後に党の指示でボリス・エリツィンによって取り壊されました。

後年、ソヴィエト連邦の崩壊後にロシア共和国の大統領となったボリス・エリツィンです。

 

ソヴィエト連邦崩壊後、遺体は掘り返されました。

実は全員ではなく、三女のマリアと皇太子のアレクセイの遺体は別の場所で発見されました。

 

ソヴィエト連邦崩壊後のロシアで、共産党の蛮行を謝罪し、ニコライ一家の名誉回復に努めたのが、犯行現場となったイパツェフの館の取り壊しの指揮を執った、ボリス・エリツィン、大統領でした。

 

この投稿を書いているのは2020年7月17日です。1日1投稿を目指していますが、放置する日もあるので、7月5日付の記事になっています。遅れを取り戻すべく努力していますが。

 

毎年、7月17日が近くなると、ニコライ一家の運命に思いを馳せて、悲しくなります。

 

 

 

では☆